男の作法 (新潮文庫)

男の作法 (新潮文庫)

池波先生は「他人に作法を説けるような男ではない」と恐縮されているけれど、
作法を対談形式で語られた言葉が本になっている。
おすし屋さんで、てんぷらやさんで、お蕎麦屋さんで、
お酒の飲み方、嫁姑、電話のかけ方、ファッション…などなど。
確かに東京の回らない(笑)おすし屋さんに入ると緊張する。
まず値段、どこに座るか、何から食べるか…腰が引ける場所だ。
でも、何も緊張することは無いんですよ〜と、
びびらず、しかも謙虚にスマートに、この高いハードルに向かう作法を教えてくれる。
なるほど!と思うところが沢山あり、通ぶってふるまうのは滑稽だという事もわかる。
ちょこちょこと、戦後の高度経済成長でマナーが崩れたなんていう話も出てくるのだけれど。
その時代を支えて来た人達にそんな事言われてもね…と思う。
嘆きたいのはわかるけど、そこをグッとこらえて、手本だけを示してほしいと思うのです。
でも池波先生、万事用意周到で完璧主義。
そうしないと、逆にストレス感じる性分なのでしょうね。
爪のアカでも煎じて…汗
 
弥勒の月 (光文社時代小説文庫)

弥勒の月 (光文社時代小説文庫)

あさのあつこさん、初めての時代小説。
人物像を突き詰めて描くのが、あさのさんの作品だ。
『バッテリー』でもそうだった様に、
この作品でも同心の木暮、岡っ引きの伊佐次、殺されたおりんと夫の清之介の
“ひと”そのものを個別に描いていく。
どうしてこの人はこんなたたずまいなのか?を遡って解いていく。
人づきあいの中で、その人の一面だけを見て判断するのは間違いを犯すもとだ。
そういう物言いをする、そういう考え方をする要素が、どこで育まれていったのか?
猫をかぶっているのか、オブラートで包む方法を知らない人なのか、また、あえて包まない人なのか…
想像力を豊かにすると、もっと人に優しくなれるんだよ、と教えてくれる。
例えば、眠ったふりをして年上の人に電車で席を譲らない若者にあきれる!
という場面があったとしても、
その子は苦学生で徹夜のバイト明けかもしれない。腰痛持ちなのかもしれない。
以前に席を譲って“年寄り扱いしないで”と言われた事があるのかも。
もしかしたら、前に立ってるオバサンの方が100倍元気なのかも・笑
と、考えていけば、腹も立たない?
面白いのは、自分で生み出したキャラクター達なのに、
彼らをつかむために、あさのさん本人が苦心しているということだ。
それは想像も出来ないほど、苦しい作業なのだろうな…
だから面白いのですね。